家康の影響
江戸幕府を開いた家康が惚れ込んだということも影響して、日本刀は江戸時代に一層神格化されました。しかし江戸時代の末期には開国の風が流れ込み、蘭学を学んだことのある武士や緒方洪庵の適塾で外の世界を知った若者は、日本刀の神格化に疑問を持ち始め、刀を売り払う者まで出現するようになりました。彼らの日本刀離れは凄まじく、売却して得たお金で遊び歩いたり、日本刀で柱を削って遊んだりしました。近代化が日本刀の神格化を阻害し始めたのです。ただ、それでも多くの武士の精神的支柱としてあり続けたことも確かで、勝海舟のエピソードにもそれが表れています。
勝海舟は実は知る人ぞ知る剣豪でした。幕末に活躍し、幕臣として維新派との調和に勤しんだ勝は、剣の腕前も確かなものでした。その精神力は西郷隆盛との折衝や戊辰戦争にも活かされ、無血開城を導きました。勝だけではありません。福沢諭吉も剣豪として鳴らしました。啓蒙思想家の彼は元中津藩士でした。緒方洪庵の下で蘭学を学び、欧米視察によって啓蒙の必要性を感じた彼は、明治時代の代表的知識人になりました。剣術の腕前は素晴らしく、免許皆伝だったと言われています。晩年も剣術の稽古を重ね、文武両道を実現しました。
勝も福沢も、その件の腕前を実践に活かした経験はありませんでした。彼らは剣術を殺すことに利用しようとは思わなかったはずです。つまり剣術を極めることで得られる精神を、人生の充実に繋げる思想を開拓していたに違いありません。それは現代の武道とも共通する境地でした。以後、戦争で銃が使われるようになってからは、剣術の実用性はますます消失し、その精神性が美術品としての真剣に仮託されることになります。日本刀のそうした価値を日本人よりも先に発見したのが、欧米の目利きでした。武将の審美眼に驚き、日本刀の細部、刀装具の美しさ、機能性に惚れ込んだのです。