日本刀切れ味のエピソード
江戸時代の中期「三国通覧図説」「海国兵談」等を著した、林子平のエピソードの紹介をしよう。長崎で唐人が暴動をおこし唐人屋敷内の建物に立てこもってしまった。子平は立てこもった建物の門にかかった閂(かんぬき)を日本刀で叩き斬り、唐人の持っていた青竜刀をも一刀両断にした。噂を聞きつけたオランダの商館長の自宅に招待されデマが流れていると言われ、家にあった洋刀を七本束ね、いともたやすく一刀両断して見せたのである。真偽の程は確かではないが、日本刀のすごさえお物語る豪快なエピソードではある。
切れ味の優れた日本刀は業物と呼ばれている 最も優れた物から順に「最上大業物」「大業物」「良業物」と評価されている。切れ味に由来した異名を持つ日本刀をいくつか紹介しよう。
波泳ぎ兼光・備前長船二代兼光作
川に飛び込んで逃げようとする敵に追い付き後ろから斬りつけたが、斬られたはずの者はそのまま川に飛び込んで逃げた。仕損じたか、そうではない向こう岸にたどりつき水から上がった途端に体が真二つになった。
八文字長義(はちもんじちょうぎ)・備前長船長義作
永禄十年(1567年)、小田原の北条氏政が下妻城主多賀谷政経を攻めたとき、政経の援軍として出陣していた佐竹義重が北条方の騎馬武者を一撃したところ、兜もろとも頭と体が真二つに割れ、馬の左右に八文字形になって落下したことから名付けられたという。
八丁念仏団子刺し
戦国時代の鉄砲隊で知られる雑賀衆・鈴木孫一が所有したもの。
「八丁念仏」は斬られた相手が念仏を唱えながら八丁【約900m】進んだところで脳天から真二つになって絶命したという逸話から。
「団子刺し」は地面をつきながら敵を追っていたら、気付いたら、道端の石ころが、いくつもその刃にに貫かれ、さながら団子のようになっていた逸話から名付けられた。